伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、特に精神障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

判断すること、明確にしてスピードアップ。

仕事をする中で、相談したり、考えたり…

えーっと、それでさ、それってどうなったんだっけ?

 

時間をかけて相談・検討したこと、うやむやになって、

次の話題に移ってしまうともったいない。

時間がもったいない。

 

とにかく私はこれにイライラしてしまう。

同じことで2回も3回も尋ねたり、検討時間をとったりしたくない。

納得いかなくて、理解が腑に落ちなくてという場合は別。

 

そして、一つのことを判断するのに早い方がいい。

決めるのを怖がる、ためらう人、

責任を取りたくないとか自信がないとか…。

そんなの仕事なんだから、一つ一つ決めて進めるのが当たり前、

人の時間を、会社から与えられる時間を、給料を無駄にしないで!

 

っていうと、相当イライラした人に思われるんだけど。

そんなの気にしない。

一つ一つ決めるってエネルギーがいること。

腹くくってやらなきゃ進まない!

貧困スパイラル。家庭環境の何がポイントに?

就労移行支援の立場として、ワークショップに参加してきた。

近しい支援をする行政・支援機関・NPO・民間企業、

いろいろな参加者がいてとても新鮮だった。

 

若者の貧困スパイラル、何がファクターなんだろうか。

経験に基づく事例を作って検討した。

それぞれの立場の人がよくある傾向、

モデルタイプを提示して、紹介し合った。

 

家庭環境っていうことは共通していた。

その具体的な話は、

・幼少、小学生時代に孤独・寂しさを経験

・親が忙しい・子供に構えていない

・母子家庭・父子家庭

・子どもに発達障害の傾向があって困難・生きづらさがある

・親のパターンを子が繰り返す

 

特にひっかかるのは、「寂しさ」。

甘えたい時期、かまってほしい時期に満たされていないと、

後になってもずっと満たされないってこと。

寂しさ故に、善悪の判断つかずに人について行ってしまう、

騙されてしまう・流されてしまう、

意志なくやってしまう。

寂しさを解消したくてやるけれど、寂しさがかえって増すことさえある。

 

なんだろう、世の中にはたくさんの楽しいこと、

にぎやかな場所があるのに、

満たされずに寂しさを抱えている子どもがいる。

そのまま大人になってしまう人もいる。

 

もっと人の話を聞いてほしい。

子どもの話に耳を傾けてほしい。

大人の都合だけで子どもを寂しくしないで。

家庭に大人がいるのに寂しくなる、空虚な家庭にしないで。

人を愛して。

サッカー観戦、わたしの醍醐味

サッカーJ2ファジアーノ岡山徳島ヴォルティス戦、

スタジアム観戦をしてきた。

平日夜、仕事を終えて急いでスタジアムに向かうワクワクする感じ、

到着した時、すでに明るいライトがともって応援歌が聞こえ、

それまでの仕事環境・モードから一瞬にしてリセットされる。

あの歓声が大好きだ。

 

歓声に包まれて、スタジアムの観戦者と一体になる感じ。

特に得点した時、周囲の席の人たちとハイタッチして、

喜ぶときがとてもいい。

知らない人どうし、共通の喜びでつながれるのがいい。

 

歓声の中、緊張してゴールを見守る。

あの何とも言えないもどかしい一瞬がある。

パスをつないでゴール前まで運び、シュートを打つかどうか見守り、

打ったときのハラハラする感じ。

あの緊張感・ワクワクも好き。

 

サッカーはあまり細かいルールがわからなくても、

案外楽しめるスポーツだと思う。

そうやって雰囲気を満喫しながら好きになっていけばいい。

趣味がそれで一つ増えて、共通の話題で友達が増えるならすてきなことだ。

仕事した先にいるのは誰ととらえているか?

あまり働いた経験がないと、どうしても自分ができるか、

自分が耐えられるかが優先される。

仕事をした先にいる誰かを考える余裕はない。

働くことを通じて考えられることって、

そう思うとでかい。

 

ある経営者はいう。

地元を元気にしたい、と。

漠然としているんだけど、結局元気がないと、

購買意欲も何も起こらないわけで。

地域の活性化に携わるのはあながちばからしいことではない。

 

自分ファーストか、

相手ファーストかでずいぶん世界がちがってくる。

 

ブラインドサッカー、指示出しミスあれこれ

ブラインドサッカーは、フットサルコートサイズで、

フィールドプレーヤー4人はアイマスクを着用して、

ゴールキーパーは晴眼者または弱視の人、

攻める側のゴール裏に「コーラー」という役の人が立って攻撃の指示出しをする。

 

ボールに取り付けられた鈴の音、

プレーヤー仲間の声、ゴールキーパー、コーラー、コート外の監督の声、

これらを頼りにプレーする。

 

「コーラー」の役をチーム内で担うようになり、

試行錯誤しながら指示出しをしている。

 

もう何から言うか、まったく困ってしまう(笑)。

ゴール前で複数人がごちゃっとボールを奪い合いすると、

ボールについて、ぶつかりそうな人、ゴールまでの距離・位置、

あー一体どれが優先順位高いか、毎回悩む。

 

ましてや対面しているので、右左が入れ替わる。

よくあるのは、この右左を間違える、間違えそうになって言いそびれること。

ひたすら声を出して位置・向きを知らせるんだが、

とにかく頭つかうサッカーなのだ。

 

しかし、それがうまくいけばすかっとするし、

いずれうまくつながりそうで、希望をもって取り組んでいるところなのだ。

失敗・ミスはつきもの、これからもミスあれこれは続く…

 

インドネシア独立記念日、日本人はどう過ごす?

8月17日はインドネシア独立記念日

祝日だ。

日本にはない祝日、2001年に滞在していたとき、どう過ごしたらよいか?ずいぶん考えた。

 

宗教行事であれば、別の宗教のお客様、参与観察者、研究者として、

入ることにあまり抵抗はなかった。

独立記念日、歴史をさかのぼれば日本人である私に、

侵略したという国をかけての事実がのしかかっていた。

それまで楽しく過ごしていたインドネシア人の友達に、

どどど、どうしよう、態度変わっちゃうだろうか?とかなり心配した。

その日は外にいられないくらい、やばいのじゃないか?とか。

 

しかし、事前にリサーチした。

独立記念日ってどんな日?と聞くと、

Ramei,ikut saja!!

(にぎやかよ、行ってみましょ。行けば分かるよ)

といったコメントばかり。

半ば祭りでもあるかのようだ。

 

誰も「来るな!」なんて拒まず、

むしろ「おいで!」って言われる。

当時の私には、??????だった。

 

当日を迎え、午前中は行政での式典が行われているようだった。

その後、広場や各所で祭りのような雰囲気だった。

いや、これは祭りだった。

夜まで続き、夜には影絵(wayang kulit)の上映まであった。

 

よそ者だけど誰も拒まず、受け入れるやさしいインドネシア人。

さらに大好きになった。

そして歴史をさらに学び、ずっと慕ってくれていることを改めて知り、ますます大好きになったことは言うまでもない。

 

 

かわいいインドネシア語(その1)

聞きなれないインドネシア語の単語、

いくつかかわいい!と思う言葉を紹介。

思わず覚えてしまうかもしれません。

 

1)プランプラン(pulang-pulang)

ゆっくりと、という意味。

プランの1つでも「ゆっくり」という意味だけれど、

2つにすると「気を付けて、ゆっくりね」というニュアンスに。

 

帰り道、バイクで急ごうとしたら、よく言われたなあ。

 

2)キラット(kilat)

速達のこと。

いかにも早そうな感じがする。

 

3)サヤン(sayang)

愛しい、英語でいうmissの意味。

赤ちゃんを見ると、決まって「サヤン」と言う。

ああ、赤ちゃんには「サヤン」と言えばいいんだ、

赤ちゃんになんて声掛けするか戸惑っていたのが解消した。

赤ちゃん=サヤンだと勘違いしていたが、そうではなかった。

 

かわいいというか、なんだか便利な掛け声だ。

 

もちろん、赤ちゃん以外にも恋人同士のように親密な関係の相手にも使う。

 

気に入っていた3つの言葉、どれも音・意味がかわいい。(笑)