伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、特に精神障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

急遽退職した後輩、5年ぶりに思いがけない場所で見かけて声をかけそびれた

以前の職場で一緒だったある後輩を偶然見かけた。

歩き方、背格好からして、本人だった。5年たったので顔つきが少し大人びた、いや精悍になった感じがした。

 

せっかく見かけたのだけれど、声をかけそびれた。

正確に言うと、自転車を停めて立ち止まり、きちんと話しかけたい衝動に駆られていたのだけれど、本人にとっては再開したくない相手かもしれないと恐れたからやめておいた。

もう一つの理由は一緒にいた利用者さんがせっかちな人で、時間通り到着して清掃をスタートする気でいたから、私が寄り道するわけにはいかなかった。

 

同じ時間に同じ場所でまた会えるかどうかはわからないけれど。あの金曜日、偶然に見かけたのはタイムリーだった。

忽然と去ることになり、その後は連絡も取りづらく、消沈しているはずなのに何も声掛けができなかった。時々ふと思い出して気にしていたけれど、いざ見かけて本人だとわかったのに声すらかけられないなんて。

何となく自責の念にかられてしまう。

 

もしかしたら、もう会うことがないかもしれない。また同じタイミングにしたら、すぐ会えるのかもしれないと期待したのか。本人をびっくりさせてでも、声をかけたかったなと今更になって思う。

 

彼が入社して4年目までは一緒だった。よくがんばっていた。慢心してるなと思う場面は私が注意したらよく聞きいれた。すぐ元に戻ったけれど。しっかりやっていたのに、数年後には誰にも埋められないくらい心に穴が開いていたんだと知った。近づいても離れようとし、閉じた状態のままだった。ほとんどの人が彼自身を責めたけれど、私はそれだけじゃないと思った。どうしようもないくらい心に穴を開けさせた世の中(会社環境)だったんじゃないかと思う。いまでもそうだと思う。でも私が主張したところで何かよくなったり、取り戻せたりするものでもない。

 

私もあの環境がおかしいとおもったから、去った。その結果とても元気である。

 

やっぱりあの場所で見かけて、声をかけそびれた。これは数年分の後悔になってしまう。こんな後悔を蓄積するのはいやだから、一瞬の勇気を持つことにしよう。