伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業側へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ブラインドサッカーチームの活動、ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

17歳の時に憧れた女性、「伝えるお仕事」の原点になっていた。

17歳、高2の時に読んだ本がきっかけだったことを急に懐かしく思い出した。

『女たちのアジア』(岩波書店)、松井やよりさんというジャーナリストの1冊。

 

新聞社出身の松井さん、日本が経済成長を遂げる70-80年代、同時期のアジアの女性の凄惨な状況を書いていた。眼をそむけたくなるようなつらい事実、実は日本の影響が強いということ。日本人として知ってほしい、女性としての尊厳は平等でありたいと感じた。それで何ができるだろうか?と17歳の私は必死に考えていた。

 

17歳の私、高校生活がつまらなくて、早く社会に出るか、進学して次のステージに進みたくて仕方なかった。毎日単調な学校生活、学校自体もあまり好きになれず、友達も少なく、市立図書館で本を見つけて読むことが楽しみの一つだった。社会のことをもっと知りたい、漠然と社会学、女性の権利、アジア、発展途上国に興味を持っていた。背表紙を見て、おもしろそうなものをめくっては、あれこれ思案する。そういう時間が好きだった。

 

松井さんは当時の私には大きなインパクトを与えた。書いて伝えることで、こんなに人の気持ちを揺るがせることができるんだなと。本=小説・物語だけじゃなくて、事実を伝えるドキュメントというジャンルも素晴らしいと感激した。いつしか憧れの的になっていた。

 

著書の中でアジア、各国の女性の様子を伝えていた。日本では、雇用機会均等法が施行されて不平等・理不尽なことが指摘されるようになっていたが、それとは次元の違う、尊厳にかかわることが複数あった。衝撃だった。もっとアジアのことを知りたいと素直に思った。現場を直視することは怖いだろう、でも日本とは違う景色の国々へいつか訪ねてみたいと思った。

 

それから大学進学し、いくつかの学問の入門編をかじって、文化人類学でフィールドをインドネシア・バリに決めた。そもそもの文化の違い、社会とは?を様々な観点から思考する文化人類学は、異文化・自文化ともに知ることができ、すっかり魅了されたから。インドネシア・バリにしたのは、アジアに関わる文献を読むうちに興味を持った論文がきっかけだった。それがきっかけで、24歳の時、1年間バリでフィールドワークの練習(博士課程の本番に備える)の想定で滞在した。思いはかなり実現した。

 

その後、様々な形態で、「伝えるお仕事」に携わった。私自身の想いを世に出すのではなく、事実を集約する、分析レポート、ある人の意見など、他の人のことを整理してカタチにしてきた。書くことが苦手な人は多く、代行するととても喜ばれることを知った。代行するにも、ある程度は知識・想いを共有して信念がないと、依頼者にその甘さはすぐ見抜かれてしまう。伝えたいことが伝わるって、とっても嬉しい、一緒に喜べてるのは幸せだ。

 

これまでは出版社、特定のメディアの記者として携わってきた。いまは本業(ここでは収入のメインという意味)がそもそも異なっているけれど、個人事業として「伝えるお仕事」をしたい。17歳の時に憧れた女性、松井やよりさんを原点に、わたしなりに書きたい。じゃ、何を書くの!?が出てくるよう、徐々に自分に詰め寄っていきます。しばらく怠っていた課題に向き合います。