伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、特に精神障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

到着したときから帰りの心配が始まる。なぜそんなに急ぐのか?

ある研修に参加したとき、同じグループになったある方がずっとスマホやらメモをきにしていた。帰りの乗り物の時刻表をメモしているのだ。遠方から来られており、終了後に予定している乗り物に間に合うかどうか、とても気にされていた。

 

気持ちはある程度理解できる。不慣れな場所にやってきて、予定した乗り物に乗ってたどり着けるか、そして帰れるか。

 

それにしても到着した時から帰りの心配をしていると、なぜやった来たのかよくわからない気がする。近くでその様子を見ていても、「帰るために来たんだろうか?」とすら思ってしまう。とてつもなく変な感じで、周囲にもよい影響は与えない。

 

そして、終了時には2-3分早く退出してしまった。講師がまだ話をしていた。もし私が講師だったら不愉快・不可解な気持ちになるだろう。スタッフのどなたかに挨拶をした様子もなかったし…

 

ましてや本人の意思で参加したわけではない様子だった。初任だから行かされている、指示でやってきたという雰囲気だった。これもまた良い影響は与えない…

 

この方の様子をみて、ふと父のことを思い出した。同じ心配をする人だった。外出すれば、出先で渋滞・天候が悪くなることを常々心配し、帰ることが至上課題。おもしろくないのだ。せっかく到着して、おいしく食べている、見物していても、早く移動して出ようとする、車に戻ろうとする。

 

このタイプの人たちは外で長く過ごすことが苦手なんだろう。そして予定通り帰宅することに喜びを感じるんだろう。それにしても、なぜそんなに急ぐんだろう…私はおもしろくないし、そのタイミングを楽しめなくて残念に思う。価値観は違う、仕方ない。