伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、特に精神障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

ぼんやりしてゆく祖母を見守る

祖母(98)が日々ぼんやりしてゆく。高齢なので、もう何があっても違和感もなく、家族は受け入れられる。いつの間にそういう覚悟というか、受け入れ体勢ができていたのか、さっぱり見当がつかない。何歳からか、どういう状態になってからか、境目や節目はわからないけれど、なんとなく「ああ、もう高齢だからね」と言葉にするうちでもなく、受け入れている。

 

約10日前に急に眠りこけるようになり、目を覚まさなくなった。醒めることなく、いびきをかきながら眠りに落ちてしまった。病院で検査した結果、脳梗塞になっていた。こうやって脳梗塞になることは初めて知った。脳のなかで血の流れをふさぐものが出てきたため、祖母は眠り姫のように寝落ちてしまった。何年分かわからないくらい、眠っている。つい最近までも、寝ることが多い生活であったけれど。若いころ、農作業で苦労していた頃を取り戻すかのように、眠りこけている。

 

1週間ほど過ぎて、目は開けるようになった。私たち家族がいるとわかっているのか、何か存在があることだけ理解できているのか、もうわからなくなってしまった。もう少ししたら回復するとか、よくなるとか、そういうものでもなさそうだ。

 

自然と受け入れができていたためか、ああ、そうなのかと、すんなり受け入れられた。私の祖母は、病院のベッドで安静にしている。日々、ぼんやりしてゆく。数年かけてぼんやりしていったけれど、脳梗塞になって、拍車をかけたようにぼんやりしてゆく。

 

安静にしていられること。それは幸せなことではないか。病院で見守ってくれる人たちがついている。私たち家族にとっても、ありがたいことだと思う。

 

ぼんやりしてゆく祖母。安静にして、何を観ているんだろう?何を想っているんだろう?祖母にしかわからない空間があるのだろう。