入る・入ってない。なんだかモノみたいなんだけど、そうじゃなくて。情報伝達のもどかしさ。
「あの人、なかなか入らないのよ」
「今日のはたぶん入ってないよ」
「3割くらいは入る、残りは紙に書かないと入らない」
人間に水を入れて、容量に満たそうとしているかのような表現。
もしくはシュートをうって、ゴールに入るかどうかを話し合ってるような。
そうじゃなくて、情報が納得して理解できる、腑に落ちることを「入る」と表現している。発達障害、精神障害、知的障害など、なんらかのコミュニケーションの障がいをお持ちの方とのやり取りの中で、支援員同士が表現する独特な言い回しだ。
この業界(福祉)ではごく当たり前なんだろうけど、異業種からやってきた私には新鮮な表現だ。
お話ししていること、お伝えしたい連絡事項などは、ジョウロかコップに満たした「水」で、人のに向かって説明する、つまり「入れる」。
何らかの障害があると、とくとくと吸収されず、数割漏れてしまっている。その人の周りは物理的には水浸しになるんだろうか?シミや濡れた後はのこらないんだけど、お互いに激しい肩透かしにあって転びそうになるくらい「あれ?」っていうことになる。
当事者には、「入った?入ってない?」とはあまり尋ねない。支援者側用語っぽい。質問したって「うん」という返事が返ってくる、入っていようと入っていまいと、YESと答えてしまう。だからわざわざ質問しない。その人の反応や表情、その後の行動を見て、入った・入ってないを判断する。
自分が伝えたこと、伝えたいことってそのまんま相手に伝わるわけじゃない、そんなはずない。ある程度はその人のフィルターを通しての解釈・理解になって伝わるんだろう。そっくりそのまま伝えようなんて、期待する方がおこがましい。
「入る」という時、もともと漏れてしまう分を考慮してないみたいに、すとん!とそのままぜーんぶを指しているみたいで。それをぶっこむのも強硬な荒療治で。
業界用語に対して不慣れなためか、違和感が満載なのだ。
情報伝達ってもどかしい。コミュニケーションって難しい。でも、そうであるからこそ人は悩み、時には苦しみ、試行錯誤を繰り返して関係性を深めていくというか、経験値を増していくんだろうな。