伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業側へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ブラインドサッカーチームの活動、ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

被取材者は呆然、取材者が暴走。実はよくある構図。

取材をする側として、話の聞き手になり、導くことを意識してきた。

記者でなくとも、人としての基本姿勢だといってもいい。

 

立場が変われば、ブラインドサッカーの広報、NPO団体のイベント広報として取材を受けることもある。

逆の立場になってみるのは、ピカ一の気付きの宝庫。

 

こんな取材をされたいなー!

この記者になら安心して任せられる!

あのDJなら、落ち着いて大切なことを話せる!

時間を工面して取材・週録の協力をしてよかった!

っていうことになればお互いHAPPY

 

とはいえ、あれ!?ということもある。

記者経験者だから気付くことばかりじゃない。

人として接していても、ヘンテコな気分になる。

 

 

取材されてるのに、話している中心が圧倒的に記者。

話足りない、大事なこと言う前に切られた感がある。

日時を伝えたいのに、確認がない。

記者が作ったストーリーに当てはめて悦に入られる、話している方が違和感だらけなのに気付かない。

話の途中で確認や共通認識をとらず、どんどん進めて、解離する。

下調べをほとんどしてない、事前に調べればすぐわかることまで聞く。

素人なりにFBページ、HPを参照して近況すら把握してない。

 

…となると、時間をとって話をする側としては迷惑にすぎない。

そのくらい調べてきて!って言いたくなることがある。

ある程度の情報をもとにお話ししないとさっぱり理解できない。

そもそもわかっていなければ、文章に起こすなんて到底時間がかかる。

人を魅了する記事にならない、プレスリリース・基本情報だけ見て書けばいいじゃんってことになって取材の意味がない。

 

 

っていうことで、被取材者が呆然としてしまい、

取材者が一人暴走している構図はよくあるんだけど、お互いに不幸になるよ。