伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画・制作・集計を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住41歳。就労移行支援事業所で、特に精神障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援、企業へ障がい者雇用の橋渡しに携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

溜め込まざるを得なかったこと、母が娘に話す。

先日、祖母の納骨を無事に終えた。四十九日の法要が終わった日、二人になったとき思い出したように急にいろいろ話し始めた。他の話から関連して思い出したことだった。

 

母にとっては姑、嫁ぎ先のことなので、不慣れなことから不可解なことまで相当な経験があったはずだ。よくぞ約45年間も一緒に生活して、これまで生きてきてくれたなあとも思う。

 

あの時あんな態度、親戚のことで何も共有されずにいた理不尽さ、義弟(私からは叔父)の扱い…などなど堰を切ったように出てきた。これまでも聞いたことがある話だったけれど、生前はそこまではっきりきっぱり言わなかった話が、語気が強くなって噴き出してきたようだった。

 

溜め込んでいたこと、溜め込まざるを得なかったこと、あったんだと改めて知る。相当な年月を経ていたエピソードもあり、紐解かれることなくずうっととのままわだかまっていたり。話し合って解決できるようなタイプのものはあまりなかったし、立場上質問できるとか、提言できるといったものでもなかったし。

 

そうやって長年耐え忍んできた母に感謝。

祖母もおそらく言えない、説明できない理由があったのだろう。

 

秘密を墓場まで持っていく、語られることなく消えていく謎・不可解とは、こういうのも多分に含むんだろう。納骨をしながら、あの入れ物の中には骨のほかにもそいういう不可解なことが絡まっていたんだろうな、と今更ながら思う。

故人の所有物を整理、日が経つと変わること。

祖母が亡くなり、祖母の部屋のモノを片付けている。

葬儀の翌週あたりは、心身が疲れてなかなか進まなかった。着手するのもなんだか億劫なのだ。とにかくモノが多いのと、どうしていいか目途が立たない。

 

4週間、およそ1か月近くたつと、不思議なもので、判断がつけやすくなっていた。一人だと進めにくいが、母と私の二人で「まあいいかー」「どうするー?」「妹が使うかもよ」とか、あれこれ話し合いながらやると早くなった。

 

ありがたく使わせていただくものもあれば、もう使い古しているから感謝して処分するものも多い。すぐ判断つかなくて、タンスに入れたままのモノも多いのだけれど…。

 

日が経つにつれて、潔さが出て、整理が進むようになった。途方に暮れていた数日前がうそみたいだ。

 

やっぱり持ち物は少ないに限る。死ぬときに持っていけないというのは本当であるし、たくさん残しておいても整理する人に負担がかかるのだ。あー、こういうことなのかなと思う。不要なものばかりではないけれど。家族とはいえ他人の物に着手するのはなかなかしんどいし、想いがあれこれ交差して、難しいものだ。

フレッシュなドライフルーツ

思いつき!で、ドライフルーツをつくりはじめた。

家庭用の乾燥機を購入し、あれこれテスト作成をはじめました。思いのほか、いろんな出来栄えがおもしろくて、ハマっている。

温度・時間・切り方・皮の有無など、ちょっと条件を変えるだけで、出来栄えがずいぶん違うのだ。

 

できたては、フレッシュ!なのだ。

みずみずしいというわけではない。やっぱり香りがよく、口当たりがソフト・滑らかな感じ、色も自然のままで美しい。

置いておくと、日がたつにつれ、茶色っぽく進行していくものが多く、色味が暗くなり、食品としては地味な風貌になっていく。

 

自分で作ってみると、本当にびっくりするくらいフレッシュで、できたてはおいしい。放置しておくと茶色の進行が早いのと、水っぽい仕上がりのモノはすぐにカビが生えてしまう。

比較のために市販の安価なドライフルーツを食べてみると、砂糖が甘すぎる、油分が果物の味を変えている、果物の味がしない?など、がっかりしてしまう。

 

こんなに違いがあるなんて知らなかった。

ドライフルーツの多くは、水分を抜くため・品質を安定させるため、砂糖につけてから乾燥させる、油を使って水を抜いて乾燥させるなどの方法がある。砂糖・油を使えば、水分が外に出て、からっと仕上がるわけなのだ。さらに色味も鮮やかに保てる。

でも、それじゃカロリー高くなりすぎちゃうし、本来の果物の味から遠ざかってしまう。ヘルシーじゃない!ってことになる。

 

オリジナルで納得いく味わい・品質のフレッシュなドライフルーツを商品化したいな・

 

到着したときから帰りの心配が始まる。なぜそんなに急ぐのか?

ある研修に参加したとき、同じグループになったある方がずっとスマホやらメモをきにしていた。帰りの乗り物の時刻表をメモしているのだ。遠方から来られており、終了後に予定している乗り物に間に合うかどうか、とても気にされていた。

 

気持ちはある程度理解できる。不慣れな場所にやってきて、予定した乗り物に乗ってたどり着けるか、そして帰れるか。

 

それにしても到着した時から帰りの心配をしていると、なぜやった来たのかよくわからない気がする。近くでその様子を見ていても、「帰るために来たんだろうか?」とすら思ってしまう。とてつもなく変な感じで、周囲にもよい影響は与えない。

 

そして、終了時には2-3分早く退出してしまった。講師がまだ話をしていた。もし私が講師だったら不愉快・不可解な気持ちになるだろう。スタッフのどなたかに挨拶をした様子もなかったし…

 

ましてや本人の意思で参加したわけではない様子だった。初任だから行かされている、指示でやってきたという雰囲気だった。これもまた良い影響は与えない…

 

この方の様子をみて、ふと父のことを思い出した。同じ心配をする人だった。外出すれば、出先で渋滞・天候が悪くなることを常々心配し、帰ることが至上課題。おもしろくないのだ。せっかく到着して、おいしく食べている、見物していても、早く移動して出ようとする、車に戻ろうとする。

 

このタイプの人たちは外で長く過ごすことが苦手なんだろう。そして予定通り帰宅することに喜びを感じるんだろう。それにしても、なぜそんなに急ぐんだろう…私はおもしろくないし、そのタイミングを楽しめなくて残念に思う。価値観は違う、仕方ない。

1か月半眠ったままだった祖母を見送る

けっきょく祖母は約1.5か月、脳梗塞で眠ったままだった。

ぱたっと眠り始めて、1週間後くらいに時々目を開けてきょろきょろするように意識がもどった。話す、動くことは自力では難しくなっていた。ちょっと目を開けては、また眠り、眠り、時々目を開けていた。

 

眠り姫みたいだった。すーすーと穏やかな寝息で、身体をほとんど動かすこともなく、じっとしたまま。もうすぐ99歳になる眠り姫だった。

 

8月2日、22時22分、両親と兄が到着して見届けた時刻を旅立ちの時刻として記録された。2がならんている。そうだ、祖母は八白土星、二黒土星の特性も持ち合わせた人柄で、やっぱり8と2を持っていくことになったのだろうなとふと思った。

 

なんだかまだ眠っているだけんじゃないかと思うくらい穏やかな表情で。イマイチ実感がないのだけれど、あと2日間で旅立ちを送ることになる。新たな旅立ち、次のステージを祖母に迎えてもらいたい。

 

 

ぼんやりしてゆく祖母を見守る

祖母(98)が日々ぼんやりしてゆく。高齢なので、もう何があっても違和感もなく、家族は受け入れられる。いつの間にそういう覚悟というか、受け入れ体勢ができていたのか、さっぱり見当がつかない。何歳からか、どういう状態になってからか、境目や節目はわからないけれど、なんとなく「ああ、もう高齢だからね」と言葉にするうちでもなく、受け入れている。

 

約10日前に急に眠りこけるようになり、目を覚まさなくなった。醒めることなく、いびきをかきながら眠りに落ちてしまった。病院で検査した結果、脳梗塞になっていた。こうやって脳梗塞になることは初めて知った。脳のなかで血の流れをふさぐものが出てきたため、祖母は眠り姫のように寝落ちてしまった。何年分かわからないくらい、眠っている。つい最近までも、寝ることが多い生活であったけれど。若いころ、農作業で苦労していた頃を取り戻すかのように、眠りこけている。

 

1週間ほど過ぎて、目は開けるようになった。私たち家族がいるとわかっているのか、何か存在があることだけ理解できているのか、もうわからなくなってしまった。もう少ししたら回復するとか、よくなるとか、そういうものでもなさそうだ。

 

自然と受け入れができていたためか、ああ、そうなのかと、すんなり受け入れられた。私の祖母は、病院のベッドで安静にしている。日々、ぼんやりしてゆく。数年かけてぼんやりしていったけれど、脳梗塞になって、拍車をかけたようにぼんやりしてゆく。

 

安静にしていられること。それは幸せなことではないか。病院で見守ってくれる人たちがついている。私たち家族にとっても、ありがたいことだと思う。

 

ぼんやりしてゆく祖母。安静にして、何を観ているんだろう?何を想っているんだろう?祖母にしかわからない空間があるのだろう。

SNS疲れ。距離をおいて緩和されてくる。

SNSが面倒になり、無駄に入ってくる情報をシャットダウンしてくなっていた約1か月前。それからしばらくシャットダウン気味にしていた。申し訳ないけど、苦手な方の情報は避けるようにしていた。どうしても必要なら連絡があるでしょうし。SNSを見ていないから、反応しないからと責められる理由はないはずだと思い、自主的に距離をおいていた。

 

それから約1か月、距離をおいて緩和されてきた。自分の気持ち・環境が変わり、「まあいいか」「少々どうでもいいか」と思えるようになった。自主的に防衛してみて、成果があったといえよう。

 

見られること、察してあれこれ思案されること、同調していること、相手の評価を気にしすぎること、これまで通りの態度を取り続けなきゃと懸念すること…。日本人は周りからどう見られるかをとにかく気にする、気にする、気にする(笑)。気にするなと言っても、それはとても無理なことだ。身をもって感じる。そういう、見えない文化が根底にある。

ときどき、その見えない文化に縛られて、自分自身ががんじがらめにしてしまって、苦しくなることがある。哀しいけど、自分ではすぐに気が付かない。しばらく時間が経過して、何らかの兆候が出ないと、「ああ、しんどい」と分からない。自分に鈍感になってしまうとき、よくある。気づいたときは素晴らしい、その瞬間は褒めてあげたい。

 

一つ辞める・変えること、行動や習慣になっていることをグッと変える時、勇気がいる。辞める・変えることで、少しでもいい未来が描けるなら、率先して受け入れたらいい。ためらうなら、まだ何か未練があるから、もう少しメリット・デメリットと自分の気持ちをよーく考えたらいい。答えはいつも自分の中になる。

 

今回、地道に私自身に問いかけて、私が望むこと、こうなりたいと思うこと、守りたいこと、最優先に考えて決め、実行することができた。私、すばらしい。誰かに否定される・申し訳なく思う・褒められる・いい答えをしてもらうことなんて期待しなくていい。私自身が快く生きていけるように、私に素直に答えを出せばいい。そう思った。いいぞ!、2019年6月の私。