伝えるお仕事、ときどきインドネシア語

伝えるお仕事として、広報企画や制作を出版社での経験をもとに手掛けている岡山市在住40歳。就労移行支援事業所で、障がいをお持ちの方の就職活動と伝える力をつける支援に携わる。大学時代にインドネシア・バリに1年間滞在、ときどきインドネシア語のお手伝いも。ブラインドサッカーチームの活動、ヒトの成長・変化の観察レポートもときどき。

「言うべきかどうか、難しい」は、実は難しいことなんてない、別の問題。

仕事にかぎらず、相手に言うべきこと、言いたいこと、言った方がよさそうなこと、言えたらいいなっていうこと、今言っておかないとやばいこと、様々な次元の「言い出し事」がある。

 

これらを言う、発言する、発話する、問いかける、問う、投げかけるタイミングが難しいと言う人がいる。

 

タイミングについては、

まずは、言うべきタイミングを全集中力で見計らっておきます

少々会話の流れが乱れようとも、話題が飛びそうであっても、言い出してみないと分かりません。案外いい流れに変わるかもしれません。そして、相手も言い出してくれるのを待っていた!なんてこともあります。

 

とにかくねらいを定めて、待つ。

今日はこれを言わねば、この人とは二度と会えない、もう今日しかない、これを言わなければ大切な●●さんがやばい、このまま帰れない、命が危うい(大げさ!)、というくらいの心意気で臨みましょう。

 

 

また、言った後の相手や周囲の反応・評価を気にしすぎて、間違ってるかも、自分の方に非があるかも、厳しく言い返されるかも、スルーされるかも、わかってもらえないかも、変なこと言ったと思われるかも、なんてことを際限なく気にする人もいる。

 

相手・周囲の評価を気にする人は、

仕方ないけど相手は思ったほど聞いてくれないから、

20人に一人聞いてくれて興味を持ってくれたらラッキー!と思えばいいです。

自己中心的に話して嫌がる人はそれまでの関係性です。

 

言うは一時の恥、言わぬは一生の恥。

 

ちょっとしたこと、保身にならずに、すぐぱっと聞いてほしい。

それは障がい有無に問わず、難しいこともる。

でも、保身のために大事なアドバスを相手にとって逃してしまう、

そりゃ辛いよね。

それなら言うことに特化してがんばっている。

 

 

初めて聞いた、家族の存在。

就労移行支援の仕事で、利用者と話していると、

家族のことをよく話す人もいれば、全く話さない人もいる。

利用者だからじゃなくて、一般論だから、なんだ?って思うかもしれない。

 

先日、話をしているうちに初めて親の話をした人がいた。

あれ?、この人、親のことを話すのは初めてで、どうしたんだろう?と思った。

自分の行動をあれこれ止めているのは自分だという説明をしていたんだけど、自分自身でもあり、親の存在も加担していた。

初めて話してくれた時、やっと納得できた。

 

親の存在ってやはり大きい。

何気ない言葉かけがすごく人の人生を左右している。

言う人も受け取る人も、真意の通りにはキャッチボールできない。

愛がある言葉も、暴力にだってなりうる。

子どもが理解できるように、腑に落ちるように愛のある伝え方をするべきだね。

 

そして大人になっていつまでも「親のせい」にしてはいけない。

どこかで捨て去って、脱ぎ捨てて、自立しなくちゃならない。

離れて暮らせているから親はもう近くにいないわけで、見張っていない。

どんなにダメ出ししようと、見ていないのだから、いい加減なこと言うな。

そう思って、自分なりに、遅かれ早かれ、着実なペースで生きていく。

それでいいじゃないか、それがいいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プチ同窓会、かつての仕事でお世話になった方に再会。

編集の仕事をしていた頃、お世話になった方を訪ねた。

お二方と私、3人とも当時とはすっかり環境が変わっているにもかかわらず、再会してしまえば「おー、久しぶり、元気だったー?」と当時とあまり変わりなく話し始められる。こういう雰囲気、とっても嬉しい。

 

仕事でお会いしていた頃は、締切とか次にやらなきゃならないこと、時間のことや私が帰る終電の時刻とか、とにかく切羽詰まって詰まって詰まって!?いて、余裕がなかった。どうでもいい話なんか、なかなかできなかったし、そんな話題すら私からはふることができなかった。若かったんだろうな。

 

当時けっこうがんばってたんだろうな。どうでもいい仕事していたら、わざわざお会いしよう、お邪魔していいかな?なんて考えないかもしれない。ある意味、当時のことを恥じたり遠慮したりするような感覚はなくて、またこの方たちにお会いして、何か少しでも吸収したいというか、気持ちを高めたい何かを求めているというか。「この方たちに会えたら元気になれる」というとチープで陳腐な感じ、カンタンに言うとそういうことなんだろう。

 

とにかくこうして数年来の人に会えること、会いに行く連絡を取れること、とにかくこの人とのつながりはとてもありがたい。大切にしたい。

 

 

祝・再会。初めて会ったのによく知っている!?

就労移行支援の仕事で訪問した先のご担当者様、

あれこれ話していたらなんと前職の取引先でした。

そして私が担当していた制作物の物流、アンケートの回収やデータ入力などの運用、しっかりやってくださっている方でした。

 

あの頃苦労してやってた仕事、見えないところで外注先としてきっちりしっかりやってくださっていたんだ!と思うと初めて会ったのによく知っていて。

祝!再会!と言わざるを得ない。笑

 

中途半端にやっていた仕事なら、わざわざ話題にしなかったかもしれない。

当時それなりに!?、必死でやっていたことだから、今も記憶が鮮明な部分がある。

相手もそうだった。ちょっとした初めて!なこと、たくさんお持ちな方で、どんどん新しいことを取り入れたり、チャレンジしたり、突き進んでこられた方なんだなあ。

 

かつてがんばってきた環境と私をたたえて、現業をしっかりがんばろう!!

周りに人へのちょっとした気遣い、歩きスマホは止めてということ。

視覚障がい・視覚障がい者の生活に関わる講演に参加してきた。生活面について、改善を計るよう研究されている方たちの報告だった。便利グッズなんかじゃなく、ソフト面、人の行動を改めればよくなる面についていくつかお話を聞けた。

 

近年、障がい者にとってとっても危険なことは、

歩きスマホにぶつかること!

これはこの10年間でぐっと増え、制裁がないと変わりそうになり。

 

肩と肩が触れ合う・ぶつかる程度ならまだしも、歩きスマホ中の人は真正面からでもお構いなしにぶつかってくるという。そりゃ見えない側からしたら、相当怖い障害物だ。

 

歩きスマホに関して、怖い経験をしたという視覚障がい者は少なくないそうだ。子どもだけでなく、大人もしているので、頭と頭がぶつかるリスクも大いにある。死亡事故に発展したケースだってすでにあるのだ。

 

外を歩くとき、視覚障がい者かどうかはさておき、周りの人にぶつからないように歩くのは最低限のちょっとした気遣いじゃないだろうか?周りの人に迷惑にならない、安全を確保する、最低限のことだ。

 

ブラインドサッカーのプレー中、手を前に出して、ガードしながら動く。そうしなければ、カラダ・頭から相手にぶつかり、衝突して倒れたら相当危険だ。身を守る工夫というか、ルールとしてきちんと取り入れている。

そして、「ボイ!」と言いながらボールを取りに行く。声を出さずに取りに行くと、「ノースピーク」で違反なのだ。

 

歩きスマホは手のガードもしない、ノースピークであるから完全にアウト!そりゃ相当危ないわ。お互いに無防備にぶつかるとたいへんなことになるので、どうか歩きスマホはやめてください。

 

プライドが高い人にできていないことを指摘するには、さてどうする?

書類作ってもらうと、誤字脱字のミスがある、PCの操作が独自で時間がかかる、左・右のそろえやインデントが見本通りじゃないとか、不慣れな人はいくつかミスをする。自分でチェックできればいいけれど、案外見落としてしまう。

 

特に発達障害の診断を受けており、プライドが高い人に対し、いったいどうやって改めていこうか?というのが、今日の研修中のグループワークのお題だった。

 

当人はできている、スキルがあると思っているから、それをあからさまにダメ出しすることはNGだろう。全然改善に向かわない。

 

社会人になる前、自分で習得してきたスキルはもちろん評価すべき。でも仕事のペースに合うかどうか、効率よくPC機能をつかえているかは別の問題。

そうそう、もっといい仕事をしたいなら、効率よくできるスキル、ミスを防ぐ機能(まずは校正機能)を教えるのもいいんじゃないか。

 

あれこれ考えているうちに、やっぱり大事なのは本人のプライドをぐしゃっとつぶさないこと。こだわりのプライドを取っ払ってもらえたら…なんど思うんだけど、それは本人にも難しいことだからもどかしい。プライドが高いことはとどめておき、そこに抵触しない考え方でアプローチする。

 

人に対して、いろんなアプローチを考えて、理解してもらおう・共通認識をつくろうという営みがなんともいいなと思った。こういう研修みたいなこと、障がい者がいる職場だけじゃなくて、本来は仕事を教える時には特に職場の人みんなで考えるべきなんだよね。そうすることで、人のこと、もっと理解できる。仕事の本質をもっと考えることになり、効率化になるかもしれない。

 

この事例の方には、仕事として求められることを説明する、会社の中での役割やロスになることを伝える、どんな理解をしているか・どう考えるかを一緒に考えていく、などなど様々な提案があった。

 

いきなりやり方を提供するんじゃなくて、なんで?、それであなたはどう思う?の気持ちを大切にする、考え方をお互いに開示し合うことをする。なるほど、それっていいなあ。時間を作って、どうしてそう思うの?を掘り下げていくことを日頃もしてみるといいかもなあ。いや、ぜひしてほしい。

 

人に無関心な時代、もっと身近な人のことを考えて、その人にふさわしい仕事・環境・アプローチをしっかり考えて実践してほしい。それは過去の職場で痛感した。人に無関心、アプローチする勇気とか動機がないのだ。ひどい時代だ。って嘆いても仕方ないからわたしは一人でも、一人誰かが幸せに生きられるように、その人へのアプローチを考えて実践する。

 

 

 

 

マルチタスクな器用で気が利いてパーフェクト!な人を求めがち、そんな期待通りの人はなかなか会えない。

いろいろな職場見学に行くと、

案外マルチタスクな仕事が多く、一人にいろいろな役割を臨機応変にやってほしいと期待していることが多い。

そういう人がいたら、そりゃあ好都合でしょう。

 

そんなマルチタスクが可能で、器用で、気が利いていい仕事をしてくれる人なんて、実は少ないんじゃないかな、と思うこの頃。

もしいたとしても長く続かない。

期待値と実際が合わないことが多いのだと思われる。

 

 

企業側も「空気読んでいい仕事をする人」なんて、漠然とした理想を掲げていると、若い人たちは特に敬遠するだろう。

これさえできればOK、安心して入っていけると思うみたい。

エネルギッシュに留学したり、プロジェクト活動をしたり、キラキラした生活の大学生ですら、かならずしもマルチタスクが可能な人は多くない。

 

これから来てくれる人に過剰に期待しすぎている現在、

もっとタスクや期待することを絞って、これさえやってくれたらまずは助かる、その後少しずつできることを増やしていこう!っていうくらいの気楽さでいられたらいいのにな。

 

企業も過剰に期待しすぎ、求めすぎ、

応募する若者もイメージできる些少なものに目が行きやすい、自信を持てない、

となれば、いつまでもマッチングはない。

 

企業はもっとハードルを下げる、ということはしたくないかもしれないが、

言い方やとらえ方を改めて、1年目としてはまずこれだけ!と切り出していただければ、とっつきやすいんじゃないかな。

若い人の思想に近づいた方が、伝わることってかなりたくさんある。

自信のなさをほっと補うスタンスでいけば、フワフワと近づいてきてくれるだろう。